TAICHU 65
蓬莱米台中六十五号
1895年に台湾は日本領となりましたが、当時、日本は食糧難で台湾からの米の供給が必要でした。しかし、台湾には細長くて粘りのない"インディカ米"(在来種)しかなく、日本人の味覚に合う米の栽培が急がれました。そんな中、誕生したのが「蓬莱米」という台湾産日本米でした。
蓬莱米の中でも特に「台中六十五号」という品種は、磯永吉先生(広島出身)と末永仁先生(福岡出身)が1929年に、初の日本米交雑種として完成させた品種で、病気に強く、多く収穫できるため、台湾で主力栽培品種となり、日本にも多く輸出されました。「台中六十五号」は、台湾の稲作史上とても重要な品種で、日本とも関わりの深い歴史ある品種です。
日本酒台中六十五について
2012年から日本酒業界に入って、杜氏を目指す者として、この数年間、自分の理想の酒造りを追い求めてきました。いまだに理想とする到達点にはたどり着いていませんが、台湾人としてのアイデンティテイを、初めて手がけるお酒に取り入れたいです。
「台湾と日本の架け橋に、日本酒を通して貢献したい」という夢が形となり、台湾で普及・栽培された「台中六十五号」という米を使ったオリジナルの日本酒「台中六十五」を造ります。
蔵人としての修業は蔵の中だけではありません。昔の蔵人は夏の間に米作をしてきたことを知り、米に対する知識を身につけることにしました。酒造りは、米作りから始まったのです。
台中六十五号は、兵庫県の「神力米」と島根県の「亀治米」を掛け合わせてできた米です。日本生活の大半を島根で過ごした私は、なんとか島根で台中六十五号が収穫できないかと考えました。
種もみは、最初は大学の種子庫から入手できないかと探しましたが、ダメでした。幸い、沖縄で1995年までに奨励品種として作られていたこともあり、現在栽培している農家から入手することができました。
また、栽培田は、友人を通じて探しましたが見つからず「種はあっても植えることができないかも…」とあきらめかけた頃、当時同じ李白酒造で働く先輩蔵人が田んぼの提供を申し出てくれました。
「台湾と日本、島根にルーツのある米から、日本酒を作りたい!」という私の夢に、酒の作り手として共感し賛同してくれた仲間がこうして助けてくれたのです。本当に感謝しきれません。
台中六十五は酒造りである同時に自分の修行でもあるから、いろんな蔵から醸造哲学を吸収したいので、米出来た後に蔵人として毎年は違うに蔵入り、違うテーマで台中六十五を設計と管理をします。
新しく台雲酒造にも初心変えず、年々技術の修正と酒の質を向上させます。